今の家に引っ越してきて3度目の冬を迎えます。
そして最近、3年目にして初めて気づくことがありました。
日のあたらない家
ある晴れた日の昼、家の縁側で本を読んでいました。
すると、ふっと日が陰りました。
太陽が雲に隠れたかな?と思い空を見ましたが、雲はありません。
かわりに、太陽は山に隠れていました。
時間はまだ午後の2時前。
これからもっと陽が陰るのは早くなるでしょう。
午前中は日が入るので、正確には日のあたらない家ではありませんが、ちょっと早すぎやしませんか?
なんて思いましたが、山間の田舎では、家は日当たりのよくないところにあることが多いと思います。
少し開けたところでも、日当たりのよいところはだいたい田畑で、家は山際にあります。
作物の生育に日照は大事な条件ですから、昔の人は人間が我慢してでもよいところは田畑にしたのでしょう。
※なぜ今まで気付かなかったかというと、日中は仕事に出ていたし、休みの日でも天気のいい日は出かけていたからです(家にいたとしたら寝ていたとか)。
ちなみに夏にはしっかり西日が入ります。
こどもができて家にいる時間が増えて、はじめて気付きました。
都会の憂鬱ー佐藤春夫
日のあたらない家というと、佐藤春夫の都会の憂鬱という本のことを思い出します。
日の當らない家ですね。
冒頭で、ヒモのような男が家の中にいて、
「どうして、この家には日があたらないのだろう?」
という考えに支配されている描写が出てきます。
※実際はその家にも、朝のうちのわずかな時間わずかながら陽が当たるんですけどね。
20分も!
って感動すらしてます。
初めて読んだ時には、「これに共感できたらマズいでしょ」と思いましたが、今となっては少しわかる気がします。
(比喩としても)日のあたらないところにずっといると、考えがどんどん内向きになると言うか、つまらないことを延々と考えると言うか、そういう状態になりがちな気がします。
この文章がすでにそうですね。
家に日があたらなくても、日のあたるところに出て行けばいいわけですし、あまり鬱々としないように、気を付けたいところです。
その家は見たところ空家のやうに感ぜられた。だがこの家は空き家ではないーそのなかに田中が住んでいたのである。
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