田園の憂鬱、都会の憂鬱

こんばんは、田中です。

前回の記事→日のあたらない家で佐藤春夫の「都会の憂鬱」のことを書きました。

改めて読み返してみたところ、意外にも(失礼か?)おもしろかったのでちょっと紹介します。


都会の憂鬱


冒頭で主人公の彼が
「どうしてこの家には日があたらないのだろうか」
という考えに支配されている描写が出てきます。

この彼は、まったくもってひどい有様なんです。

うだうだとつまらんことを考えてばかりで、ホントにたいした行動も起こしません。

そして、何もしていないクセに妻をいたわることもせずに、むしろ文句ばかりはすらすらと口から出てきます。

(まるで、誰かさんのようだね、と妻)

晴れた日に、風呂に入って散髪をしただけで、もう一仕事やったような気分です。 

文体も、なかなか切れ目のない、句点でダラダラとつながった長い文で、余計にそう感じさせます。

描写は細かいです。
その分、特に展開はありません。展開などありようもない日々です。

ただ、まじめに?悩んでいる様子やら、日々の出来事を細かく書くと、けっこうおもしろいと思えるんですね。

つっこみたくなる部分も多いんですが、妙に共感できるところがあったりします。
※たぶんこれに共感できたらちょっとまずいとは思いますが。

あとがきみたいなのが付いてるんですが、春夫先生ずいぶんヤケクソのようになってます。そして、書き上げるまでに200回以上?通った編集者の人すごいです。


田園の憂鬱


実は、「都会の憂鬱」の前には「田園の憂鬱」という作品も書かれています。

主人公は、おなじ彼です。
妻と2匹の犬も出てきます。

つまり彼は、都会に疲れて田舎へ行き、そしてまた都会にもどっているわけです。

渠を流れる水や、家の中に入ってくる蟲、月明かりに照らされる丘など、細かく描写されていて、「都会の憂鬱」よりは、直接うだうだ考えている内面の描写は少ない気がしますが、逆に彼が病んでいくのは強く感じられます。

そして、隣人やら酔っ払いやらこどもやら出てきますが、田舎の人間関係に悩むというよりは、もうなんというか、ひとりで勝手に憂鬱になっていきます

天気のせいとかむしろそんなかんじです。

彼の憂鬱


もう、都会とか田園とか、そういう環境のためではなく、彼自身の性格上の問題ですね。

そして、それに共感できてしまう(全面的にではなく、ちょっとだけですよ)僕も、いろいろ問題を抱えていそうな気がしてきました。

興味のでた方は読んでみてください。

ただ、憂鬱な気分の時に読むより、元気な時に読んで、ツッコミどころ探して楽しむくらいがいいかもしれませんが。いやでも、元気な時ってこういう本に興味が持てないですね、きっと。

ああ、今日もつまらないことを書いてしまいました。もう寝ます。

この小さな虫はおれだ。田中よ、どうぞ早く眠れ!

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