タダより高いものはない。ってホントだと思う。

こんばんは、田中です。

スマイル0円!キャンペーン実施中。
※こどもは元気で、毎日よく笑ってくれます。

昔ラジオで聴いた話ですが、

「スマイルプリーズ」

に対して、

「お持ち帰りですか?」

と答えた店員さんがいたそうです。
おふざけはやめましょうね(どっちも)。
それに、スマイル自体は無料でも、おそらくお持ち帰りは高額な追加料金が発生しそう。

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ところで、

タダより高いものはない。

って諺ありますよね。
※「タダほど高いものはない」って覚えてたけど、検索したら「タダより」って出てきました。そっちが正しい?

まあ、それはこの際どうでもよいことです。

主に、もらう側というか受け取る側の視点で考えられることが多いような気がしますが、この言葉がほんとうなら、自分があげる側というか提供する側でも成り立つというとこですよね。

身近なところで考えてみても、確かにそういうことは言えると思います。

例えば、集落の共同作業があったとして、
「出られない家の人は負担金(言い方はいろいろあると思いますが)を払いましょう」
という決まりになったとします。

じゃあ、負担金を払えば、作業に出た人と同じかと言えばそうでもない気がします。
結局、お金を払うことより、(タダで)自分の時間と労力を提供するほうが価値がある、というふうに思われているということではないでしょうか?


そういう例以外でも、お金を払ってやり取りすれば、気持ちの上ではそこでいったん貸し借りなしというか、完結してしまうというか、そういうことはあると思います(ほんとは、それで終わりってことはないと思いますが)。

一番近くて長く続く間柄では(家族とか)、いちいちお金のやり取りはしないと思うんです。

家事代行サービス使ったらこれくらいかかるから、とか考えれば時給換算とかもできるかもしれませんが、 ご飯作ったらいくら。洗濯したらいくら、みたいにはなりませんよね。

これも考えようによってはタダ扱いですけど、タダより高い物はない、なら、もっとも価値があることってことですかね。

話がずれました。


この言葉の前提としては、 
タダっていうのは0円という値段がついているというのとは違う
ということでしょう。

タダ=0円という値段がついたものなら、何も恩や義理みたいなものは感じないでしょう。


今のところ、圧倒的に周りから受けることが多いので、負債がたまっていくばかりです。
でもこういうことって、返して終わりってことはないと思うので、そういう気持ちを忘れずに暮らしていきたいと思います。

とりあえず、今日も一日いろんなものをいただきました。
ありがとうございます。



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