前回、
日本人が普通に食べるもののなかには、嫌いなものや食べられないものはない(と思う)です。
と書きましたが、もしかしたらあるかもしれません。
でも、上の発言で言いたいことは、好き嫌いがないことがよい、ということではありません。
昔はないほうがいいと思ってました。
というか、そういうふうに言われてきたのでそう思っていたというかんじです。
でも今は、むしろあってもよいと思います。
そう思うようになったのは、自分の祖父母のことがきっかけです。
僕の記憶する祖父は、食べ物の好みを言うような人ではありませんでした。
※いっしょに暮らしていたわけではないので、あくまでも時々会っていた印象です。
だから時々(お祝いの時など)、好きなものとか食べたいものを聞いても、はっきりこれということはなかったように思います。
「ないでんよか」←なんでもいい
嫌いなものはなくてもいいかもしれないけど、好きなもの、特に好きなものはあっていいよなと思いました。
祖母は、けっこう食べないものが多いです。
肉類はほぼ食べません。
酸っぱいものも苦手です。
食べるものにけっこう偏りはある気がします。
でも、特に不調もなく元気に過ごしていました。
なんでも食べるってことが、いいってことでもないのかな?と思いました。
※もし祖母がなんでも食べる人なら、もっと元気かとかはわからないので、比べようはないですが。
僕自身も、今でこそ嫌いなものはない、みたいなことを書いてますが、小さいころはいろいろ苦手なものがありました。
例えば~、
ピーマンとか。
あと、トコロテンとか。
魚のはらわたとか。
すぐ思いつかないけど、他にもいろいろあったはずです。
ちなみに田中家では、
「美味しくない」というような発言をすると、父親から、
「美味しいはずだ」
と言われていました。
子どもからしたら、なにそれ?ってかんじなんですが。
でも、ちょっと考えてみると、美味しい美味しくないというのは、ある種の思い込みかもしれません。
人によって多少味覚の鋭さとかは違っても、同じものを食べて感じる味はまあ同じようなものでしょう。
カレーはカレーの味がしますよね。
ひとりだけうんこの味とかしませんよね。
それを美味しいと思うか、不味いと思うか。
これが美味しいってことなんだと思えば、美味しいんです。
ってのは強引でしょうか?
あと、好き嫌いって言ってもだんだん変わりますよね。
なんだろう?
この気持ち。
今まで、大嫌いだと思ってたのに、
アイツのこと、
もしかして、これって、、
みたいな少女漫画的展開(※偏見に満ちています)がいつの間におきていたのかわからないですが、
今は、ピーマンもトコロテンも魚のはらわたも好きです。
何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが、
まあ好き嫌いってあってもいいんじゃないかなってことです。
食べ物のに限らず人間とかも。
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